Handwerker - ハンドベーカー

Handwerker
  • Photographer
    ...HIROMICHI UCHIDA (THE VOICE MANAGEMENT)
    Model
    ...SHINICHI MIZUKAMI
    Editor/Writer
    ...AYAKO MASUDA

Vol.12
Blacksmith trouser

鍛冶屋(アーティスト ブラックスミス)
水上慎一さん



普段着に適した、普遍的なワークウェアーを作り、シーズンによってほぼ変えることなくコレクションを制作してきた Handwerker。毎回、魅力を感じる仕事をしている方に着ていただき、撮影を行ってきました。
「せっかくいろいろな職人の方に着ていただくなら、1アイテムだけでも、その職業のためだけのアイテムをデザインしよう」と、2018AW から、ひとつの職業の方とともに、作業するための服をつくる “Handwerker laboratory” シリーズをスタートしました。

古代から現代に至るまでの間、人々の暮らしに息づき、あらゆるものに活用されてきた鉄。水上さんは学生時代に鍛鉄の工房で働き始め、そのまま職人になり、2021年に独立。 現在は埼玉県入間市にある自らの手で修繕した工房で、鍛造機という機械やアンビルと呼ばれる鉄を叩く台、手製の道具に囲まれて、鉄と対峙しながら、コツコツと手を動かす日々を送っています。

水上さんの工房にお伺いし、作業を見せていただきながら、仕事への思いや好きな服についてお伺いしました。







----------子どものころはどんな仕事をしたいと思っていましたか。

絵を描くのが好きで、3歳のときから絵画教室に通っていました。 よく遊んでいた公園の前が絵画教室だったのと、母親がずっと洋裁をしていてものづくりが好きだったので、僕にも何かやってほしいと思ったみたいです。 高校生の頃までは、将来はサッカーをやりたいと思っていましたが、不思議と絵はやめませんでした。 サッカーの練習がない日に、1年に1回の展覧会に出す油絵を描きに行って。 大人になった今もそれの延長というか、毎日、手を動かすことをただやめてないだけというか(笑)。
教室の先生に「将来、絵で食べていくのはむずかしいからデザイン学科に進んだほうがいい」と言われて、大学は工業デザインを選んだけれど、成績もめちゃくちゃ悪かったし、あまり向いていなくて。 大学自体の就職率はすごくよくて、就職先の花形というと自動車メーカーでしたが、機械的なものの構造にはそんなに興味がなかった。 もっと工芸的なものが好きだとわかったんです。
絵画教室の先輩の紹介で鉄に出会ったとき、作業も楽しかったし、すごくいい仕事だなと思いました。19歳のときから鍛鉄の工房でアルバイトさせてもらって、「将来はこれでいこう!」と、そのまま就職しました。 まあ、あまり深くは考えていなかったんですけど、やりたいことをやろうと。 たまたま出会って選びましたが、今、ほかの金属を扱う機会があると、鉄でよかったなと感じます。
当時、工房では学生からそのまま働く人はめずらしくて、ほとんどが会社を辞めて、鍛冶屋になりたいと思って入る人。 給料が安くて、貯金を切り崩して生活するような状態になってもやりたいと思ってくる人ばかりでした。そういう気持ちは大事だと思います。 もちろん休みもあって充実して、無理のないように働くのはいいことですけどね。
26年働いて、親方には仕事をまかせてもらっていたのでやりたいことはできていましたが、50歳間近だったのと、タイミングもあって、2021年に独立しました。 いいものを作ろうという気持ちは変わっていないのですが、変えなきゃいけないと思っています。 もう少しちゃんと自分をマネジメントして、 食べていくことを考えないといけないなって。



----------鍛鉄(たんてつ)というのはどんな技法ですか。

鍛鉄とは、主に無垢の鉄を炉に入れて熱して、やわらかくなったらハンマーで叩いて(鍛えて)、伸ばしたり、曲げたりして形をつくっていく技法です。 叩くことでハンマートーン(叩いた跡)ができて、その重なりによって表情が生まれます。ヨーロッパを中心に、建築や工芸、彫刻の分野で発展しました。 ヨーロッパでは住宅の建築に鉄が入り込んでいて、門扉やフェンス、手すりなど、街じゅうのいたるところで鍛鉄の作品を見ることができますが、日本ではなぜか入り込まなかったので、意外と知られていなくて。 依頼を受けて手すりやポスト、表札など、何でも作ります。
岩手で昔から作られている南部鉄器という鉄器は鋳物といって、型に溶かした鋳鉄を流し込んでつくる鋳造という技法で作られますが、鋳鉄は炭素(カーボン)量が多く、硬い反面もろくて割れます。 でも僕が使うのは、鋼といって炭素量の多い銑鉄から炭素を減らしてやわらかくしたもの。鋼の中でも軟鋼という種類を使用するのでねばりがあり割れません。それをハンマーで叩いて、手作業で作品を生み出す。同じ鉄ですが、鉄の材質も技法も違うんです。 説明するのはむずかしいですが、おもしろいですよ。たぶん、やってみたらわかると思います。
鉄って、溶けてしまったら元には戻らない。だから火加減も大事です。 だいたい600度ぐらいで暗赤色になって、700度ぐらいで赤くなってきて。900度以上になるとオレンジ色に、さらに温度が上がると黄色っぽくなって1300度になると白になる。叩く作業は1000度ぐらいがちょうどいい。 叩くときはハンマーを上げて、下ろしているだけです。跳ね返りで上がるんです。
鍛冶屋さんってひとりの仕事じゃなくて、「相槌を打つ」っていうように、本来は二人一組の仕事なんです。 親方が叩いたら、弟子も叩く。それで、トンチンって叩いているところに弟子が叩き損ねて外すから、カンって鳴る。 叩く音がちぐはぐになって、それが頓珍漢の由来なんです。ちなみにほかにも鍛冶屋さん(日本では主に刀鍛冶)由来の言葉が身近に使われています。 「かわりばんこ」や「反りがあわない」、「切羽詰まる」、「単刀直入」なんかもそうなんですよ。



----------道具も手づくりなんですよね。

ヨーロッパの鍛冶屋さんは代々やってきた人のお下がりというか、中古品があることが多いし、専門の道具屋さんもあります。 日本にももちろん鍛冶道具はありますが、数も種類も少ないです。 洋書に載っていたので、はじめは見よう見まねでつくっていましたが、ハンガリーの鍛冶屋さんに教わる機会があって、しっかりと一から教えてもらいました。
作った作品は、たとえ個人向けにつくっても、その人があきてしまったり、亡くなったりしたら捨てられる可能性があります。 でも道具は手に入りにくいし、時間が経っても形が変わらないから、ほしい人が多いだろうし、捨てられないんじゃないかな。 自分が手に入らなくて苦労しているし、後の人たちも使えるから、道具はこれからもたくさん作りたいと思っています。

----------仕事で喜びを感じたり、大変さを感じたりするのはどんなときですか。

依頼されたものを取りつけに行って、喜んでいただけたときはうれしいです。 設計図だとどうなるかわからないから、「思っていたよりずっといい」と言われることが多いんです。 前の工房のときから、いくら金額が大きくても、チェーン店とか、名前がわからない人のものは作りません。 顔を知っている人に届けたい、ひとつひとつの仕事を大事にしたいと思ってやっています。
依頼されてつくる場合は、お客さまの好みや好きなものを聞きながら、その人らしいものをつくっていきます。 その中に自分の作りたいものや提案を入れていく。 自由に描いていた絵とも違うし、かといって工業製品のように幅広い層に売るために仮説を立ててアプローチしていくというやり方でもありません。 同じ鍛冶屋でも、ずっと同じものをつくっている人もいて、つくるたびに成長するから、それもおもしろいと思うのですが、僕は毎回、違うものをつくっているからあきない。 常にいろいろな人たちとの出会いもあって楽しいですね。
作業はすべて大変といえばそうなのですが、あまり大変って思わないんです。 仕事を始めたころは手に血豆ができたり、皮がずるむけになったりして、今もたまにむけますが、痛くも何ともないです。 火の粉が飛んだりすることもありますが、全然平気。
今は仕事をとるのが大変ですね。この30年ほどの間でも、人のお金の使い方の変化を感じていて。 以前は気持ちにも、お金にも余裕がある方が多くて、好きなようにやらせてもらえる機会がけっこうあったんです。 今は手づくりのものを求める人が少なくなっていたり、ものが全体的に安くなっていたりして、そういう機会は減りました。 いろいろな状況が変わっていくことに、こちらも順応していかないといけないと思っています。





----------ふだん着る服はどのように選んでいますか。

今は作業用の服しか持ってなくて、年とともにあまりかまわなくなってきました。 プライベートの服は、“お出かけ用Tシャツ”って呼んでいる半袖と長袖1枚ずつだけ。 あとは全部作業着にも着られる服なので、普段着と作業着の境目はないです。
買うときはお出かけ用でも、着古したら全部作業用になるんです。 ボトムは引っかかって破けたり、火の粉が飛んで穴が開いたりするので、ほぼデニム。 同時に2、3本履きまわして、穴は自分でミシンで直すこともありますが、ペンキもつくし、油じみもできるので、いくら作業着といってもそれぞれ2〜3年持つかどうかですね。 汗と鉄が反応して白だと1日で茶色くなってしまうから、靴下とTシャツも濃い色しか持っていないんです。

----------今回、一緒に作ったパンツはいかがでしたか。

このパンツ、お尻のポケットにスケールを入れて座ってもスケールの上に座ってしまうことがないんです。 ポケットの位置がかなりサイド側に大きく作られているんですよね。
デニムだと夏は鉄を熱する作業をしなくても工房内は40度近くまで上がるし、汗を吸うと重たくなっちゃって。 何日かはいたのですが、汗をかいても軽いし、もうデニムには戻れないかもしれません。 強度がある糸を使っているし、ひざの部分は二重になっているから耐久性はばっちり。 難燃性の生地なので、多少は火の粉が飛んでも大丈夫そうなのもいいですね。





----------これからやってみたいことはありますか。

個展など、たくさんの方に作品を見ていただく機会を作れたらいいですね。 日本ではあまり知られてない職業だけれど、きっと知ってもらえたら「いいな」と思って、頼んでくださる人はいると信じています。 小さい頃から人に喜んでもらうのが好きで、今もかっこいいものより、喜んでもらえるものを作りたいというのは、常にどこかにありますね。
服はそんなにかまわなくなったと言いましたが、今回、パンツをつくってもらえてすごくうれしくて。 パンツがよりかっこよく見えるように、初めて洋服用のラックを作りました。 そういう出会いから生まれるコラボレーションは楽しいですね。 お客さんとの仕事も、いってみれば毎回、コラボだし、そういう人と人とのつながりを大事にしたい。 働いてる時間がどんな時間より一番長いから、楽しく、おもしろくやっていきたいです。

水上 慎一(みずかみ しんいち)
1972年、東京都生まれ。日本大学芸術学部美術学部工業デザインコース卒業。 大学在学時より鍛鉄工芸家・西田光男氏に師事。卒業後、西田氏の鍛鉄工房「PAGE ONE」に勤務。 2021年11月に独立し、埼玉県入間市に鍛鉄工房「41 FORGE(シンイチ・フォージ)」を構える。
https://41forge.com/

(2023年11月 取材)