Handwerker - ハンドベーカー

Handwerker
  • Photographer
    ...HIROMICHI UCHIDA (THE VOICE MANAGEMENT)
    Model
    ...TATSUYA TOKURA
    Editor/Writer
    ...AYAKO MASUDA

Vol.04
Plasterer trousers

左官職人
都倉 達弥さん



普段着に適した、普遍的なワークウェアーを作り、シーズンによってほぼ変えることなくコレクションを制作してきたHandwerker。毎回、魅力を感じる仕事をしている方に着ていただき、撮影を行ってきました。
「せっかくいろいろな職人の方に着ていただくなら、1アイテムだけでも、その職業のためだけのアイテムをデザインしよう」と、2018AW から、ひとつの職業の方とともに、作業するための服を作るシリーズをスタートしました。

都倉達弥さんは左官職人。鏝(こて)という道具を使い、建物の壁や床などを塗り上げるのが仕事です。寺社仏閣や城、町家などを通して長らく受け継がれてきた、塗り壁という伝統技。自然素材のみを用いて、職人の熟練の技術によって手間と時間をかけて作られる塗り壁は唯一無二で、ほかにはないぬくもりとやすらぎが感じられます。
職人の家で生まれ育った都倉さんは、左官の修業を経て、ドイツを拠点に、壁を塗りながらさまざまな国をめぐって活動。幾多の人々と出会い、多様な技術や表現を会得して、その経験を今に生かしています。60代がもっとも多い左官職人の中で、32歳とまだ若い都倉さんの仕事や仕事に対する考え、好きな服などのお話をうかがいました。





----------左官職人を目指したきっかけを教えてください。

18歳のころはサッカーに熱中していて、ぎりぎりになるまで進路を決めていなくて。父と兄が大工なのですが、父に「現場で大工の次に大切なのは左官だ」と聞いて、左官職人に興味を持ちました。左官の仕事について何も知らなかったし、テレビで見た左官の仕事は全然楽しそうじゃなかったけど(笑)、父の仲間に「本気でやるならいい人がいる」と紹介してもらって、大分の親方に弟子入りしました。丁稚奉公が1年半、弟子として4年。初めは言われた通りにやっていただけで楽しくなかったのですが、2年目からは材料や壁づくりに興味がわいて、少しずつ楽しさが感じられるようになりました。4年間はほぼ材料をまぜるだけで塗らせてもらえませんでしたが、家に帰ってから塗る練習していました。
23歳のときに1年間、単身ドイツに行きました。親方の親方が40年前からアーヘン工科大学でやっていたワークショップを引き継いだのですが、ドイツだけでなく、フランスやスロバキア、南アフリカなど、12カ国をバックパックで回りました。その土地のやり方を教えてもらったり、それぞれの土地の土で作業をしたり。技術では日本が飛び抜けていますが、日本にいると、どうしても日本のやり方だけになってしまいます。一度広い世界を見たことで「何でもいいんだ」と思えたし、自分なりのやり方ができていったと思います。

----------左官とはどんな仕事ですか。

主な仕事は「壁を塗ること」です。今日は「水捏ね仕上げ」という作業で、材料は土と藁と砂のみ。まずこれらを必要であればふるいにかけ、水を足しながら練って調整していきます。親方は土を山からとってきていたのですが、とる場所や少しの配合でこんなにも仕上がりが違ってくるんだ、これとこれを組み合わせるんだ、こういう仕上げ方があるんだって知ったら、とにかくおもしろくて。親方に聞いたり、本を読んだり、昔の建築物を見たりして学びながら、くり返し試しました。言われた通りにやっていたらあきてしまうし、今はできあいのものもありますが、自分や施主がどんな壁を作りたいか、どんな仕上がりが好きかで配合は変わってくる。だから今までの現場で、同じ配合は一度もしたことがないんです。鏝は鉄か鋼で、大きさもいろいろですが、材料や壁のサイズに合わせて選びます。一度塗って、乾かしてからまた塗って、とその材料や現場に合う方法で塗り重ねていきます。
左官を始めて14年ほどになりますが、仕事がどんどん楽しくなっています。今は自分が親方としてやっているので、弟子のときとはまた違う楽しさですね。





----------大変なのはどんなところですか。

たくさんありますよ(笑)。7時半に現場について、8時から作業開始と朝が早いこと。朝が早い分、親方にならって17時には仕事は終わらせて、家に帰って材料をまぜたり、塗り壁のサンプルを作ったりしています。あと夏は暑くて、冬は寒い。1年中水を使うので冬は手荒れがひどいし、材料が重いので腕や腰が痛くなることも多いです。段取りが悪くて時間通りに進まなかったり、仕上がりが悪くて塗った壁をはがして塗り直したりと失敗もあります。でも、落ち込むよりも、これを足せばうまくいくな、とか次のことを考える。
何だかんだいっても、やっぱり楽しいです。職人に向いているのは、器用なことより、何でも“楽しめる人”だと思う。材料も道具も塗り方も、いろいろ試せば結果が出るし、限りがないんですよね。引き渡しのときに施主の方が喜んでくれると何よりうれしくて、やってよかったと思います。

----------仕事をする上で大事にしていることは何ですか。

コミュニケーションが何より大事だと思っているので、施主の方とはたくさん話します。先日、仕事をした旅館の方は、小さい頃に外でひざをつくと、ひざがキラキラしたという話をしてくれて。それは雲母が含まれた土だからで、それを使おうということになりました。石がたくさんとれる地域だったので石も使ったのですが、施主の希望があれば、そうやって地元の材料を使うこともあります。 いつも考えているのは、「人に寄り添う壁を作りたい」ということ。施主の希望に添うことも大事ですが、寄り添う壁とは、その空間にいるとほっとするとか、つかれがとれるなと感じられる壁です。いつも人に対してやさしくありたいと考えているのですが、僕はそれがものづくりの本質だと思っていて。好きな器を持ったときやそれでお酒を飲んだとき、「幸せだな」と感じることってありますよね。壁でもそれができると思うんです。
そう思えるようになったのは、4〜5年前、同志とも呼べる茅葺き職人と庭師、そのふたりの職人と出会ってから。年は少し上ですが、力を合わせて仕事をしたり、ものづくりのことやこれからどうしていこうかを延々と話したり。今、年1回のドイツでのワークショップも一緒にやっているのですが、作業を教えるだけでなく、ともに日本の職人の思いを伝えています。
あと親方に言われた、「現場での緊張感は糸だと思え」という言葉も心にとめています。今日はお茶室の中での作業ですが、こういうときは糸をピンと引っ張れと。でも、人が楽しむ場所の壁を塗るときにピンと張っていると、壁にも緊張感が出てしまう。確かに「ああ、やさしい壁ができた」というときにふり返ってみると、みんなで楽しく和気あいあいと作業していたときなんですよね。塗っている間は特に何も考えていなくて、「きれいに仕上がれ」と思いながら手を動かしています。







----------今回、一緒に「Plasterer trousers」作って、作業中にも履いていただきましたが、いかがでしたか。

父も親方も履いていたので、弟子の頃から現場では、足首がキュッと締まっていてひざがゆったりした「乗馬ズボン」を履いていました。すそが太いと壁にさわってしまうし、作業中に足を上げたり、ひざを曲げ伸ばしすることが多いので、ひざにゆとりがないと動きづらいから。かっこつけてジーンズを履いていたこともありましたが、やっぱり動きづらかったです。
このパンツなら着心地も最高だし、ふだん着としても履けますね。作業していてもひざの動きがさまたげられることもありません。最初見たときは生地がかたそうだなと思ったのですが、しっかりしている分、ストンと落ちる。負担がかかりやすいひざの部分が二重になっていたり、ポケットが土が入りにくい角度になっていたり、ポリエステル混紡のデニム素材で汗も乾きやすいと、かっこいいのに実用的なのもいいですね。上は今日のように白いシャツを合わせることも多いのですが、汚れることはほぼありません。作業着を汚さないように仕事をした方が、現場もきれいな状態を保てると思っています。繊細な仕事のときは特に、こういうきれいな格好をして、髪もピシッとするようにしています。





----------今後はどのように仕事をしていきたいですか。

昔からの技術を守るのももちろん大切で、むずかしいことですが、僕はそれだけじゃなくて伝統を受け継ぎながらアップデートしていきたい。これからもいろいろな現場を体験して、いろいろな場所に行って人に会って、知識や経験を増やしたい。同時に自分の技術を見てもらうことで、次の世代にこの仕事の楽しさを伝えられたらいいなと思います。あとはいつか海外で、庭師と茅葺職人と一緒に、その場所やその地域でとれるものを生かして建物を作ることができたらと思っています。

都倉 達弥(とくら たつや)
左官職人。東京都生まれ。高校卒業後、大分で5年間の左官の修業を経て、ドイツへ。ワークショップを行いながら12カ国をまわり、壁を塗る中でさまざまな経験をする。その後、職人として東京の親方の元で働き、2013年に独立。日本の伝統技術を軸に、職人仲間とともに活動したり、ドイツでのワークショップを行うなどしながら、住宅のほか旅館や博物館など、数多くの壁を手がけている。

(2019.11.8 取材)